長年、鳩山元総理の後援会長を務められ、現在は山岡後援会の会長代行として、ご指導をいただいていた戸部英一(とべ・えいいち)さんが、1月19日、肺小細胞がんでお亡くなりになりました。76歳でした。

 私が5年間の浪人生活を送っている間、戸部さんはいつも温かい声をかけてくださり、政治家としては誰も相手にしてくれないという厳しい環境の中でも、私の将来性に期待をかけてくださり、多くの人を紹介いただき、多くのアドバイスをいただきました。パークゴルフやゴルフなどの行事を企画するにあたってはいつもその中心にいてくださり、私と妻との結婚祝賀会においては呼びかけ人の代表を務めていただき、本当に言葉では言い尽くせぬほどのお助けをいただきました。新しく山岡後援会を立ち上げるにあたって、会長に御就任いただけないかとお願いをしたところ「山岡さんは若いんだから、後援会長は若い方がいい。俺は、会長代行になるから、会長を引き受けてくれる若い人を探そう」とおっしゃってくださり、現在の、加藤後援会長のもとで発足した、苫小牧に本拠を置く山岡後援会が立ち上げに多大なお力をお貸しくださいました。

 あらたな後援会が軌道に乗り始めた昨年の11月ごろ、戸部さんは体調を崩され、苫小牧市内の病院の診断を受けたところ、突然の余命3ヶ月の宣告。末期のがんということでしたが、戸部さんは放射線治療や抗がん剤などの延命治療の選択をしませんでした。「山岡さん、俺は薬に頼るのをやめたんだ。俺の免疫力で、自力で回復してみせるよ。冬の苫小牧は寒いから、しばらくは内地府県にいくけど、暖かくなったころにまた苫小牧で会おう」とおっしゃられ、その身を息子さんのおられる横浜に移されました。このあとも何度か、後援会の進捗状況のご報告のために、お電話を差し上げ、「そうかそうか、順調か。それは良かった」というお話をいただいていましたが、日に日に声が苦しそうになっておられる中で、にわかに予感を感じさせるものはありました。

 しかしそれでもあまりにも早すぎて、いまだ現実感がありません。22日、23日にご葬儀が行われ、私も妻とともに参列をさせていただきましたが、真面目な顔をしている戸部さんの遺影を見ていても、すぐに破顔して、満面の笑みと地声の大きな笑いとともに、「山岡さん、俺の葬式は長いなあ」などと、話しかけてきてくれそうな、そんな錯覚に陥りそうになりました。

 戸部さんは苫小牧市議会の議長を務められ、政治家を勇退されたあとも、町内会長、スポーツ少年団野球部会長、ゲートボール協会の役員など多くの地域活動のリーダーとしての役割を引き受けられ、医療・福祉団体の理事なども歴任されるような名士でありながら、私のような若輩者にも分け隔てなく、偉ぶることもなく、気さくに声をかけてくださり、お茶目で表情豊か、多くの人に愛され、頼りにされ、信頼された稀代の人格者であったと思います。お亡くなりになられたことが本当に残念でなりません。しかし、くよくよしているばかりでは、戸部さんからおそらく笑顔で「俺が死んだことくらい、気にするな!」とおっしゃられるように思います。私は「何をおっしゃっているんですが、そりゃあ気にしますよ!」なんて切り返しているのかななどと思います。

 余命を宣告されてからお亡くなりになるまでの2か月の間、何度も叙々苑に焼肉を食べに行かれ、いきなりステーキでステーキを食べ、ゴルフにも何回も行き、温泉にも行き、いよいよ外出が難しくなった1月に入ってからはご自宅で焼肉を食べられていたということをご葬儀の中で知りました。本当に戸部さんらしい、闘病生活と言いながらも最後の最後まで豪快に楽しく、思うように生きられたのだろうと思います。延命治療という選択ではなく、最後の最後まで人生を楽しまれ、そしておそらくは本気で自分の免疫力でがんを克服しようと考えておられた、そんな戸部さんをあらためて尊敬いたします。その姿勢に最後の教えをいただいた思いです。

 戸部さん。本当にありがとうございました。そして見守っていてください。大きな仕事を成し遂げて、戸部さんに笑顔で「いい仕事したな!」と言っていただけるよう、強い決意を持って政治活動に邁進してまいります。

衆議院議員
山岡 達丸

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