山岡達丸です。

 北海道胆振東部地震から2年を迎えたきょう、厚真町をあらためて訪問し被災現場等に設置していただいた献花台に花を捧げさせていただきました。あの震災で亡くなられた全ての方々に慎んで哀悼の誠を捧げます。

 2018年9月6日午前3時7分59秒の揺れの瞬間、私は厚真町に隣接する苫小牧市の自宅にいました。同じ寝室には妻とそのお腹には息子がいるという中で、大きく縦に揺れる中、まずは我が身と家族の安全のために身体を掴んで揺れを凌いだことがいまも鮮明に思い出します。

 わずか15分後には部屋の電気が全て通じなくなりましたが、スマートフォンの電波はまだ繋がったことから、秘書や事務所のスタッフの安全を確認。午前中にはスーパーの大行列に並んで食料の買い出し、午後にはまたガソリンスタンドの大行列で販売数量制限によるわずかなガソリンを給油しつつ、その日のうちに厚真町、安平町、むかわ町の役場を訪問し、被害の様子を確認に回り、国の機関等に何度も連絡し状況を伝えたことを思い出します。

 私が一期目を務めさせていただいたとき、東日本大地震がありました。あのときも支援に必死だったことを思い出しますが、今回はじめて被災地のごく近くで震災を経験し、全道停電、いわゆる北海道ブラックアウトの中で日々を過ごし、また避難所などを毎日歩く中で、被災当事者としての国会議員の使命を強く感じ、最も声を上げなければいけないのは私自身だという自覚の中で、国会の中でも被害の実情と現場の課題を訴え、そして与野党を問わず本当に多くの議員の皆様や行政機関の関係者等にご理解をいただいた中で、今日まで復旧が進んできたことを思うと、私の立場からも感謝の思いは尽くせません。

 厚真町では関連で亡くなられた方を含めて37人の尊い命が失われました。亡くなられた方々の無念に思いを馳せながら、今を生きる住民の方々が再び前を向いて歩き、笑顔と活力ある街を作り上げるために政治の役割をさらに発揮するためにも、被災地の国会議員として取り組みをさらに続けてまいります。

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