山岡達丸を応援する会ブログ

衆議院議員、元NHK記者
衆議院北海道9区(苫小牧・室蘭・登別・伊達・胆振・日高)にて活動中

2020年09月

 山岡達丸苫小牧後援会主催の国政セミナーが28日に開催され、立憲民主党の逢坂誠二(おおさか・せいじ)北海道連代表が会場に駆けつけてくださいました。

 今回のセミナーはコロナの只中であることから多くの方が会場に入れないため、呼びかけの範囲を苫小牧周辺のみとさせていただきました。

 通常時に750人の大ホールにおいて、距離を取りながらもおよそ300人の方に参加をいただきましたことに感謝を申し上げます。

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 新総理の首班指名から始まった国会は、実質審議の無いままに三日間で終了してしまいました。野党側は閉会せずに審議を続けることを求めましたが、国会日程や委員会日程を全てコントロールできるほどに与党側が議席を有している中で結局、閉会を押し切られた形になりました。

 報道などによれば、次の国会は1か月後とも言われていますが、新型コロナウイルスの地域経済の低迷、雇用への影響、感染拡大防止にかかる負担が医療・介護の現場や産業廃棄物の現場などにしわ寄せとなっている現状など、国会で取り上げて議論の俎上に乗せたい課題は山ほどあります。1日も早い国会の再開、そうでなくても閉会中の委員会開催を強く求めてまいります。

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 本日、民主党の系譜の新しい一歩として150人の国会議員が結集し、現政権に替わりうる政党が誕生しました。

 多くの議員が政権与党を担った経験があり、そこにさらに新たな若手議員も多数参加する新党は、必ずや国民の皆様の期待に応えられる政党となるものと確信します。

 現政権に対して、我々が国民の皆様に選択肢を示すとともに、選挙を通じて政治を国民の手に取り戻すために、山岡もその旗手の一人として全力を尽くします。


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 山岡達丸です。

 北海道胆振東部地震から2年を迎えたきょう、厚真町をあらためて訪問し被災現場等に設置していただいた献花台に花を捧げさせていただきました。あの震災で亡くなられた全ての方々に慎んで哀悼の誠を捧げます。

 2018年9月6日午前3時7分59秒の揺れの瞬間、私は厚真町に隣接する苫小牧市の自宅にいました。同じ寝室には妻とそのお腹には息子がいるという中で、大きく縦に揺れる中、まずは我が身と家族の安全のために身体を掴んで揺れを凌いだことがいまも鮮明に思い出します。

 わずか15分後には部屋の電気が全て通じなくなりましたが、スマートフォンの電波はまだ繋がったことから、秘書や事務所のスタッフの安全を確認。午前中にはスーパーの大行列に並んで食料の買い出し、午後にはまたガソリンスタンドの大行列で販売数量制限によるわずかなガソリンを給油しつつ、その日のうちに厚真町、安平町、むかわ町の役場を訪問し、被害の様子を確認に回り、国の機関等に何度も連絡し状況を伝えたことを思い出します。

 私が一期目を務めさせていただいたとき、東日本大地震がありました。あのときも支援に必死だったことを思い出しますが、今回はじめて被災地のごく近くで震災を経験し、全道停電、いわゆる北海道ブラックアウトの中で日々を過ごし、また避難所などを毎日歩く中で、被災当事者としての国会議員の使命を強く感じ、最も声を上げなければいけないのは私自身だという自覚の中で、国会の中でも被害の実情と現場の課題を訴え、そして与野党を問わず本当に多くの議員の皆様や行政機関の関係者等にご理解をいただいた中で、今日まで復旧が進んできたことを思うと、私の立場からも感謝の思いは尽くせません。

 厚真町では関連で亡くなられた方を含めて37人の尊い命が失われました。亡くなられた方々の無念に思いを馳せながら、今を生きる住民の方々が再び前を向いて歩き、笑顔と活力ある街を作り上げるために政治の役割をさらに発揮するためにも、被災地の国会議員として取り組みをさらに続けてまいります。

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