山岡達丸です。
今回の財務省の決裁文章改ざん事件は、これまでの日本の長い歴史の中で官僚機構が積み上げてきた「掟(おきて)」ともいえる、非常に大切なモノを壊してしまい、そしてそれは取り返しのつかないモノなのではないかということを強く感じるほど重大な事件だと受け止めています。
私は官僚出身の議員ではありませんが、2009年に初当選をして以来、各省における若手・中堅・ベテラン、あるいはOBの官僚の方々と少なからずの交流をしてきました。
その中で、私がある種、感動ともいえるような驚きを覚えたのは「官僚の世界というのは徹底的に『文字の世界』の中で生きているんだ」ということでした。
すなわち、各省庁の行動指針はまず憲法の定めに則り、その上で法律を基本としながら、政令、省令、基本方針、要綱などすべて「文字」として表していて、そこに極めて忠実に行動をしているということでした。
一般社会においても文字の規定といのはもちろん重要なわけですが、しかし、私たちはどこまで文章の一言一句までを読んで、そしてその意味するところを受け止めながら、それに忠実に生きているでしょうか。
そのことと比較したとき、私は官僚機構の世界のこのある種、美学とも思えるような文化に驚嘆をしました。
そんな文化ですから、特に複数の省庁にまたがって一つの文章を作るときは、それはそれは熾烈な争いになっていました。
例えば2010年頃の盛んなテーマであったTPP交渉参加の是非を巡る議論に際には、外務省、経済産業省、農水省が本当に一つ一つの文字にこだわりながら、この表現はダメだ、この文字は落とせ、など白熱した議論を積み上げ、そこに政治家を巻き込んで果てしない時間をかけながら、政府方針となる文章をつくり上げていく様を見ました。
また議員による国会質問に対する省庁の答弁は、原則として局長レベルの人もその答弁の内容の決裁に関わっていて、そのために国会質問の前日は深夜まで寝ずに文章の作成をしています。
それほど重要な官僚機構における「文章」がこの度、いとも簡単に改ざんされ、国会に提出されました。
しかもよりによって、官僚中の官僚、省庁中の省庁と言われる財務省の中においてです。
報道によれば、お亡くなりになってしまった近畿財務局の職員の方は、生前に親族の方に「常識が壊された」と話されていたとのこと。
官僚機構に生きた方として、その言葉の意味は察すに余りあるのではないかと思います。
官僚機構の大切なモノを壊してまで、このような事態を起こした背景にはいったい何があるのか。
それはもう言わずもがなであり、国民の皆様も十分に分かっていることでありますが、私はそうさせた人たちの罪は非常に、非常に大きく、そして重いと思います。
正しいことが出来なくなり、秩序を失った官僚機構がこれからどのようになっていくのか。いったいどうやって正すのか。
国家という大きな装置が迷走せんばかりの歴史的瞬間に立ち会う中で、私自身も政治にかかわる一人としてこの問題を重く受け止めなければならないと思っています。